水戸地方裁判所 平成4年(ワ)228号 判決 1995年11月15日
主文
一 被告らは、原告に対し、各自金二九八四万四三四九円及びこれに対する昭和六三年一〇月二〇日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用のうち参加によつて生じた部分はこれを一〇分し、その九を被告ら補助参加人の、その余を原告の各負担とし、その余の訴訟費用はこれを一〇分し、その九を被告らの、その余を原告の各負担とする。
四 この判決は第一項につき仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告らは、原告に対し、各自金三二四五万〇八一五円及び内金二九九五万〇八一五円に対する昭和六三年一〇月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が乗車していたタクシーが被告辻本恭夫の運転する普通貨物自動車(運行供用者は被告株式会社スズキ二輪)に追突され、原告が座席下に投げ出されるなどして受傷した交通事故に関する損害賠償請求事件であり、被告ら及び補助参加人(自賠責保険会社)が原告の後遺障害の内容・程度を争つた事案である。
一(争いのない事実)
1(事故の発生)
(一) 事故発生日時 昭和六三年一〇月二〇日午後〇時一五分ころ
(二) 事故発生場所 東茨城郡茨城町大字常井六七二の二番地先路上
(三) 加害者 被告辻本恭夫(運転車両:被告株式会社スズキ二輪所有普通貨物自動車・水戸四〇そ四八八五)
(四) 被害者 原告(当時五七歳)
(五) 事故態様 内原町高田方面から茨城町長岡方面に向かつて進行中のタクシー(運転者坂場清之介・原告が乗車中)に後方から進行してきた被告辻本恭夫運転の前記車両が追突し、原告は座席下に投げ出された。
2(原告の治療経過等)
(一) 堀越病院に入院 昭和六三年一〇月二〇日~同年一一月三〇日(四二日間)
(二) 立川病院に通院 同年一二月二日~平成元年九月一九日
(三) 立川病院に入院 同年九月二〇日~同年一〇月七日(一八日間)
(四) 立川病院に通院 同年一〇月八日~平成二年一〇月四日(以上、入院日数・六〇日、通院実日数・一五五日)
(五) 症状固定時期 平成二年一〇月四日
(六) 後遺障害の事前認定 自動車保険料率算定会水戸調査事務所は、平成三年五月二八日、原告の後遺障害を自動車損害賠償保障法施行令別表の一四級一〇号と認定した。
3(被告らの責任原因)
(一) 被告辻本恭夫の責任原因
民法七〇九条
(二) 被告株式会社スズキ二輪の責任原因
自賠法三条
4(争いのない原告の損害)
治療費 四三九万九四四〇円
5(損害の填補額) 五一九万九四四〇円
二(争点)
1 原告の後遺障害の内容・程度
(一)(原告の主張)
原告は、全身打撲、頸部捻挫、腰椎圧迫骨折等の傷害を負い、右半身末梢神経障害による麻痺、右上肢用廃、右下肢歩行障害等の後遺障害を残し、軽易な労務以外の労務に従事しえない状態にあり、労働能力を六七パーセント喪失した(併合六級相当)。
(二)(被告らの反論)
(1) 原告の後遺障害は、自賠責後遺障害等級一四級一〇号相当である。
第三腰椎圧迫骨折があつたとすれば重大な傷害であるから、甲第二号証の診断書(立川病院分)に記載がないのが記載漏れとは考えにくい。堀越病院ではこれは確認されていない。原告の腰部には変形性腰椎症はあつても腰椎骨折はないと解すべきである。
(2) 症状固定時まで約二年と治療経過が遷延し、長期化したのは、変形性頸椎症、後縦靱帯骨化症等の既住疾患の進行、悪化と心因的要素も関与しているから、症状固定までの全期間につき休業損害を認めるのは相当でない。
(三)(補助参加人の反論)
右上下肢知覚異常等の神経症状につき、筋萎縮、病的反射等の神経学的異常所見が認められず、症状経過に一貫性がなく、心因性を示唆する所見も数多く呈されていることなどから、自賠責後遺障害等級一四級一〇号の評価を超えない。
(1) 神経学が定義するところでは、運動神経は、左右大脳皮質の運動領域に始まり、途中延髄下端にて大部分は左右交叉し、脊髄へ至る中枢神経系とそこから左右神経根となつて分かれ出て、骨格筋に至る末梢神経系とから成り立つている。この経路上のどこかに障害があると、四肢の運動は遂行困難となり、完全麻痺や不完全麻痺が発生することになる。
(2) 脳のレベルの中枢神経系に障害がある場合、障害の局在部位が右側のときは運動麻痺は右側に、それが左側のときは運動麻痺は右側に発生するというように左右に特有の関係がある。これに対し、脊髄のレベルの中枢神経系の障害の場合は、障害の局在する部位が脊髄(頸髄・胸髄・腰髄)の高さにより障害される部位が決定される関係がある。したがつて、逆に四肢に運動麻痺が発生した場合には、その麻痺の形態と部位により、ある程度中枢神経の障害部位が推定されることになる。
(3) 原告には右片麻痺があるというのであるが、右上、下肢の骨折や骨格筋自体の問題はないのであるから、神経学上、脳の中枢神経系に障害がなければならないはずである。しかし、これがないことは明らかである。
(4) また、脊髄の障害についても、これを示す他覚的所見が何もない。脊髄損傷により中枢神経に器質的障害が存在して四肢に麻痺が生ずる場合、<1>腱反射、<2>病的反射、<3>四肢筋力萎縮、<4>麻痺の肢位に一致した知覚障害、<5>特有の神経因性膀胱が発生するはずであるのに、原告の後遺障害診断書に基づく限り、原告にはこれらがないから、頸髄損傷はない。
(5) 脊髄の末梢神経系の障害だとすると、発生する症状はその末梢神経の支配領域に限局されることになり、右上肢の用廃は脊髄神経根(脊髄の末梢神経の出口)でいえば、第五頸椎から第一胸椎まで以降の末梢神経が、右下肢歩行障害は第一二胸椎から第四仙椎まで以降の末梢神経が、それぞれその右側だけが一度に損傷されたことにならなければならないが、このようなことは現実にはありえないことであり、実際、右損傷を裏付ける画像所見も、検査所見も一切認められない。末梢神経障害であれ、高度に障害されれば、その支配領域の筋肉は著明な萎縮を示すものであるが、堀越病院の平成三年四月二七日付後遺障害診断書によれば、「明らかな筋萎縮はなく、むしろ、周囲径からすると患側の方が太い」というのであり、末梢神経障害とは矛盾がある。
(6) 原告の訴える自覚症状の主なものは、その存在自体に疑問があり、この疑問は、それが心因性のものと解することによつて氷解する。
2 損害額
(争いのない治療費四三九万九四四〇円以外の原告主張の損害)
(一) 入院雑費 七万二〇〇〇円
一日一二〇〇円×六〇日=七万二〇〇〇円
(二) 通院交通費 四五万二六〇〇円
歩行困難のため立川病院に通院するためタクシーを利用往復二九二〇円×一五五(日)=四五万二六〇〇円
(三) 休業損害 五三八万六〇〇六円
本件事故当時大村養鶏場に勤務する傍ら家事に従事していた。昭和六三年賃金センサス女子労働者学歴計五七歳の平均賃金額(年収)は二七四万九五〇〇円であるから、
二七四万九五〇〇円÷三六五×七一五日=五三八万六〇〇六円
(四) 逸失利益 一二八四万〇二〇九円
症状固定時である平成二年当時、原告は五九歳であり(就労可能年数八年・ホフマン係数六・五八八)、労働能力喪失率六七パーセント、同年賃金センサス女子労働者学歴計五九歳の平均賃金額(年収)は二九〇万九〇〇〇円であるから、
二九〇万九〇〇〇円×〇・六七×六・五八八=一二八四万〇二〇九円
(五) 慰藉料 一二〇〇万〇〇〇〇円
(1) 傷害慰藉料 二〇〇万〇〇〇〇円
(2) 後遺障害慰藉料 一〇〇〇万〇〇〇〇円
(六) 弁護士費用 二五〇万〇〇〇〇円
第三当裁判所の判断
一 本件事故の態様について
前記争いのない事実に証拠(甲第一、第四、第七、第八号証、原告本人、弁論の全趣旨)を総合すると、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
1 昭和六三年一〇月二〇日午後〇時一五分ころ、東茨城郡茨城町大字常位六七二の二番地先路上において、内原町高田方面から茨城町長岡方面に向かつて進行中の坂場清之介運転のタクシー(原告が後部座席に乗車中)が停止しようとして減速したところ、後方から進行したきた被告辻本恭夫運転の被告株式会社スズキ二輪所有の普通貨物自動車が追突した。被告辻本は、右路上を進行中、先行する右タクシーが減速したのを前方約二六メートルに認識しながらそのまま進行し、右タクシーとの距離が約一〇メートルに至つてようやく危険を感じてブレーキをかけたが及ばず、右タクシーに追突したものであり、その速度は確定しえないものの、被告辻本車は右衝突後も自車は一八メートル以上、右タクシーを二七メートル以上滑走させたものである。
2 被告辻本車に追突された際、右タクシーの後部座席に乗車していた原告は右後ろを振り返る動きをしており、本件事故による衝撃により、座席下に投げ出されてしまい、座席下に落ち込んだ不自然な姿勢のまま、本件事故後も自力で車外に出ることができず、かなりの時間経過後にレスキュー隊員により車外に救出されるまで、車内に閉じ込められていた。
そして、原告は、救急車で堀越病院に搬送されたが、同病院での初診時、歩行不可、右握力〇kg、左握力一七kgで、右上肢は自動での挙上不可、知覚障害も存した。
3 本件事故により、タクシーは、後部バンパー、後部パネル、トランク等が顕著に凹損し、また、被告辻本運転の普通貨物自動車も、前部バンパー、前部パネル等が明瞭に凹損しており、本件現場路面には、約六メートルにわたつて被告辻本車のスリツプ痕が印象されていた。
二 原告の治療経過について
前記争いのない事実及び右認定事実に証拠(甲第二ないし第四号証、第六号証、第八ないし第一五号証、第一六号証の一ないし七、第一七号証の一ないし五、第一八号証の一ないし七、第一九号証、乙第一号証の一ないし三、証人立川三美登、原告本人、弁論の全趣旨)を総合すると、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
1 原告は、本件事故当日午後一時二〇分ころ、堀越病院に救急車で搬送されたが、入院当時は、右手・右足の動きが見られず、脱力状態で歩行できず、右手は握力がなく、右上肢が自動では挙上できず、知覚障害も存し、ベツド上安静とされ、頭痛、悪感、頸部不快感、右手・右足先端部の冷感・しびれ感を訴え、同日午後五時ころ、自尿してシーツを汚染した。そして、同日夜も、右手足がビリビリと痺れると訴え、翌日も、後頭部痛と右手・右足の痺れと不眠を訴え、午後には右方の痛みや頭痛、腰痛を訴えた。翌一〇月二二日も頭痛を訴え、同日夕方から頸椎カラーの使用が始まつた。翌一〇月二三日、腰痛を訴えたが、手足の痺れは薄れつつあると話した。一〇月二五日、強度の頭痛を訴え、鎮痛剤の投与を受けたが、頭痛を訴え続けた。翌一〇月二六日、不眠と右手足の痺れ、眩暈を訴えた。その後、著変なく、一〇月二九日午後、スリツパを覆いて立ち上がり、少し足を運んだ。しかし、翌一〇月三〇日には、頭痛、頭重感、不眠を訴え、。翌一〇月三一日、歩行機で歩いて転室したが、右足がまだ重いと訴えた。その後、ときに右膝痛、頭痛、右手の痺れ、不眠、頭重感等を訴え、一一月二一日には自宅に戻りたいと訴えたが、許可が出ず、翌一一月二二日家族とともに退出して外泊し、翌一一月二三日帰院し、一一月二六日、手指も動くようになり、不眠のため自宅に戻りたいと退院を希望し、一一月二七日、頭重感、不眠を訴え、一一月三〇日に、同病院を退院した。このように、原告は、堀越病院に本件事故当日である昭和六三年一〇月二〇日から同年一一月三〇日まで四二日間入院したが、この間、ステロイド剤の大量投与等の処置を受け、また、血圧は、もともと低めであつたが、同病院入院中に高めに推移し、一〇八―五四というときもあつたが、二〇〇―九八というときもあつた。
2 堀越病院医師は、昭和六三年一〇月二二日の問診により、本件事故の際、右後方を向いたところにガクンと衝撃を受け、スパーリング・テストをやつた感じになつたものと把握し、当時の原告の症状を神経根刺激症状と診た。
平成元年一月一四日付けの堀越病院の診断書(甲第八 証)によると、傷病名は「外傷性頸髄損傷」とされ、初診時以来の経過に基づき、重症の頸髄損傷と把握されている。
3 原告は、堀越病院に入院中、眠れないので自宅に戻りたいと訴えを続け立川病院への通院を予定して同年一一月三〇日堀越病院を退院したものであり、なお、同病院での治療経過の中で退院直前の昭和六三年一一月二二日に右握力が一・二kg生じ、退院当日の同月三〇日には一旦九kg生じていた。
4 堀越病院退院に際し、原告は、自宅に近い立川病院への通院を希望し、同年一一月三〇日堀越病院を退院し、堀越病院の紹介状(診断名「中心性頸髄損傷」・甲第一八号証の三)を携えて立川病院に赴き、同年一二月二日から同病院に通院を始め、平成元年九月一九日まで通院した。
5 立川病院への右通院時の診療経過中、原告の握力は平成元年二月一六日には右一四kg、左三五kgまで改善した(甲第一八号証の二の四丁裏)こともあり、痛み等に対応する処置として肩甲下神経ブロツク、硬膜外ブロツク等も行われた。
この間、立川病院の通院診療録の平成元年五月七日欄(甲第一八号証の二の七丁裏)には、心因性のものと疑われたような記載があるが、同欄の記載は、嘔吐や後頭部から頸部にかけての異常感を主訴として夜間来院した原告をパートの当直医が診て記載したものであり、同年九日の通院時、立川医師により「疲労によるものではなかつたか」と判断されている(甲第一八号証の二の八丁表)。
6 しかし、原告が通院に困難を感じ、症状の改善が思わしくなかつたこともあつて、原告は、同年九月二〇日、立川病院に入院した。その際の看護記録(甲第一七号証の三)には、「独歩にて四一二号室へ入院す」との記載がある。そして、同年一〇月七日、同病院を退院(同病院入院期間一八日間)して、その後は、通院するようになつた(症状固定日である平成二年一〇月四日の通院実日数は一五五日間)。
7 立川病院での診療経過中、通院診療録(甲第一八号証の一)には、傷病名について「頸椎損傷、L3腰椎圧迫骨折」の記録があり、「L3腰椎圧迫骨折」は診療開始日「昭和六三年一二月一七日」と記載されている。そして、通院診療録の同日欄(甲第一八号証の二の二丁表)にはL3腰椎が図示されて、「圧迫骨折」と記載されているところ、右診断は、昭和六三年一二月六日の腰部レントゲン単純撮影(甲第一八号証の四)の結果に基づくものである。そして、同診療録の平成元年六月二七日欄(甲第一八号証の二の一〇丁裏)には「腰椎のXPを希望」との記載があり、続いて、同月三〇日欄(同所)には、レントゲン撮影の結果、「変形++」との記載、赤字で「ミエロが必要か」との記載があり、平成元年六月三〇日の時点でも腰部レントゲン撮影がなされ、腰椎の変形が強いことが確認された。
8 また、立川病院の通院診療録には、昭和六三年一二月二日欄(甲第一八号証の二の一丁表)に、「X―P、5―6?」との記載があり、この時点でレントゲン所見上第五、第六頸椎の状態について異常が認められたところ、平成元年七月一八日欄(甲第一八号証の二の一一丁表)には、頸椎が図示され、第五、第六頸椎間狭小と指摘されているが、このことに堀越病院でも指摘されていたところであつて、堀越病院の診療録(甲第一六号証の二)によると、この点から生ずるであろう症状は左に強く出るはずであるのに、現実には右に主訴がある旨の指摘がなされている。
9 平成二年三月一三日付の立川病院の診断書(甲第一〇号証)には、傷病名として「頸椎損傷(中心性)、L3頸椎圧迫骨折」が明記されており、同年四月二七日付け立川病院の診断書(甲第一一号証)にも、同年六月二九日付の立川病院の診断書(甲第一二号証)も、同年七月一六日付の立川病院の診断書(甲第一三号証)にも、同年八月二二日付の立川病院の診断書(甲第一四号証)にも、同年一〇月二〇日付の立川病院の診断書(甲第一五号証)にも、傷病名として「頸椎損傷、L3腰椎圧迫骨折」と明記されている。
10 平成二年一〇月四日の立川病院医師による診断(同日付後遺障害診断書・甲第二号証。甲第一八号証の六はその控え)によると、傷病名は「頸椎損傷・腰椎捻挫」とされ、自覚症状として、右頸から右手にかけての痛み、痺れがあり、右腕、右脚の筋力低下があり、握力検査で左が二八kgに対して右は〇ないし一kgしかなく、右肩から手にかけて外側に、また、右脚外側に、それぞれ知覚異常が認められた。また、頸椎部運動障害もあり、右肩、右肘・右手の筋力低下(五段階評価中三程度)があり、日常生活は不便であると判断され、右脚もやや筋力低下があり歩行障害が軽度存在すると診断された。
11 平成三年四月二〇日の堀越病院医師による診断(同月二七日付後遺障害診断書・甲第三号証)によると、傷病名は「外傷性頸髄損傷による右上肢・下肢機能障害」とされ、下肢機能について、支えられれば、著しい跛行を示すが、膝折れはなく、かろうじて歩行できる、上肢機能について、右側に明瞭な異常知覚があり、手指については、自動の動きはほとんどなく、筋力低下(五段階評価中二程度)、他動的には正常だが、弛緩性麻痺を呈し、握力は〇kgであると診断されている。
また、同日の堀越病院医師による診断(同月二七日付脊髄症状判定用診断書・甲第四号証)によると、上肢運動機能は〇度(著又はスプーンのいずれを用いても自力では食事をすることができない。)、下肢運動機能は一度(平地でも杖又は支持を必要とする。)、知覚については上下肢とも〇度(明白な知覚障害がある。)、躯幹は一度(軽度の知覚障害又は痺れ感がある。)と診断され、参考意見として前記一1認定のようなに受傷機転を前提として頸椎周囲へのダメージはかなりものがあつたことが予想されるとし、なお、この際の腰や足の姿勢について本人にも明確な記憶がないが、受傷直後に収容された同病院での初診時に、右上肢、下肢脱力、知覚異常は存在したので、現在の症状が後から生じたとは考えにくい、査定では下肢は無関係となつているが、下肢症状が事故との無関係であろうということはなく、外傷により生じたことは明白であろう、と付記されている。
12 平成三年七月一一日の水戸済生会病院医師の意見(同日付後遺障害意見書・甲第六号証)によると、「傷病名」は、「右片麻痺(弛緩性)」であり、「主訴及び自覚症状」は「<1>右上肢の用廃、<2>右下肢脱力による歩行障害」であるところ、「検査成績又は他覚症状」欄には「神経学的所見」として、「1 右半身の麻痺あり(弛緩性)。右上肢の用廃である。右下肢に歩行に支障ある。握力右〇kg。2 知覚障害は、右上下肢に知覚低下があり、遠位端ほど悪い。3 腱反射は右側が低下している。」とされている。そして、「以上より、右半身の末梢神経障害による麻痺と考える(脳神経麻痺はないので)。」との所見を述べ、レントゲン写真により変形性頸椎症(第五、第六頸椎間狭小高度)、変形性腰椎症(椎間板性の側弯あり)とし、さらに、「右半身の麻痺は末梢性で中等度のものと考え、その上に心因性の影響が加味していることが考えられる。」としている。
13 原告は、本件事故前は健康で別の事故にあつたこともなく、家事労働と三反ほどの土地で農業もしていたほか、パートで土木作業に出たこともあり、昭和六二年四月から本件事故前日まで、養鶏場に、午前一〇時から一二時までと午後二時から五時までの一日計五時間、時間給六〇〇円で、月平均二〇日間勤めていたが、本件事故後は、家事を行うこともできなくなり、夫がこれを行つている。食事は左手でスプーンを使つてとつており、右脚の不自由のため独立歩行ができず、入浴も家人の介助を受けながらしている。
14 原告の後遺障害につき、自動車保険料率算定会水戸調査事務所は、平成三年五月二八日、原告の後遺障害を自動車損害賠償保障法施行令別表の一四級一〇号と認定した。この事前認定につき原告は異議申し出をしたが、認定等級は変更されなかつた。同事務所の判断は、「腰椎圧迫骨折」を前提としつつも、これにかかわる神経症状は受傷との因果関係が認められないというものである(乙第一号証の一ないし三)。
三 原告の後遺障害について
1 以上認定事実を総合すると、原告には、頸椎の損傷、第三腰椎圧迫骨折、右上肢、右下肢を中心とする右片麻痺、遠位端ほど高度の知覚低下があり、右上肢の用廃の程度に達し、右下肢も脱力のための支えられてかろうじて歩行し得る程度の歩行障害があり、これらと本件事故との間には相当因果関係があるものと認められ、右による労働能力喪失率は六〇パーセントを下回ることはないものと認める。
2 被告らは、立川病院の診断書(甲第二号証)に「L3腰椎圧迫骨折」の記載がないことから、第三腰椎圧迫骨折はなかつたと主張するが、立川病院では、腰部レントゲン撮影の結果に基づき第三腰椎圧迫骨折のあることが確認されていることは前記認定のとおりであり、このことは診療録上も、また診断書上も明記されていることであつて、甲第二号証にのみ記載が欠けているのは、記載漏れであるにすぎないと解される。
3 また、被告らは、既存疾患の進行、悪化も原告の症状に関与していると主張するが、変形性頸椎症なるものは、堀越病院での診断によると、左側に症状が出るはずの態様のものであることは前記認定のとおりであり、右側の症状を説明し得るものではない。
4 さらに、被告ら及び同補助参加人は、原告の症状について心因性の要素が加わつていると主張するところ、なるほど、立川病院での診療経過中、顔貌から欝状態のときが多かつたと証人立川美登も指摘しており、他の医師も心因性の側面を疑つていたことがあることは前記認定のとおりである。しかしながら、本件事故態様は前記認定のとおりであり、原告は、タクシーに乗車していて本件事故に遭遇したものであつて、自己に何らの責なく交通事故により重症の障害を被つた者が診療経過中に欝となつたとしても無理からぬことであつて、これをもつて、医学上客観的障害が生じていないのに心持ちだけで症状を訴えている心因性のものと判断することは正当とはいえない。原告には、前記認定症状経過によれば、現在の症状に合致する兆候が本件事故当日以来継続して認められるものといえ、これを心因性のものと断ずることはできない。
5 被告ら補助参加人の反論(1)、(2)がそのとおりであるとしても、(3)のように単純に推論することはできず、本件事故の態様と原告に第三腰椎圧迫骨折が認められることに照らすと、神経系統に異常を来しているとの診療医師らの判断を覆すことはできない。また、同(4)で、被告ら補助参加人は、他覚的所見がないと主張するが、少なくとも腱反射異常、麻痺の肢位に一致した知覚障害があることは前記認定のとおりであり、右反論が前提を誤つていることは明らかである。同(5)についても、末梢神経の右側だけが一度に損傷されることは現実にはあり得ないとの断定の根拠は不明であり、むしろ本件事故態様に照らすと、右のような発症機序もあり得るものと考えられ、かかる反論をもつて前記認定を覆すことはできない。
6 なお、丙第一〇号証の一、二によれば、被告ら補助参加人の依頼を受けて原告の診療記録等を検討した病理を専門とする医師が、要旨次のように判断していることが認められる。
(一) 本件事故によつて発症したのは、「頸椎捻挫」ないし「頸椎損傷」であり、これは本件事故と因果関係がある。
(二) しかし、原告の初発症状や自覚症状の経過からみて、通常は一、二か月程度の通院治療で病態が改善される程度のものである。
(三) 原告の病態の難治性、遷延悪化の責任疾患は、変形性頸椎症、後縦靱帯骨化症など既往疾患の進行、悪化によるものであり、これらと本件事故との間には因果関係がない。
(四) 症状固定の時期は受傷後六か月程度として矛盾はなく、本件事故による後遺障害は一四級一〇号を超えるものではない。
(五) 原告に対する治療は、責任疾患の検索診断を等閑に付して、本件事故にその責任を負わせて漫然と診療している極めて不適切なものであり、その結果として病態が遷延、悪化し、事故後二年九か月余を経過した時点で、その責任疾患によつて「右半身の弛緩性麻痺」が完成した。
しかしながら、同医師の判断においては、「本件事故の態様をみると、頸部に鞭打ち損傷によるある程度の外力が作用したことは否めない」としているのみで、前示のような本件事故の態様が考慮された形跡がなく、いわゆる「鞭打ち症」なるものの一般的な受傷機転を想定しているにすぎないものと認められる。また、同医師は、第三腰椎圧迫骨折につき、「脊柱に対する垂直方向の外力によつて惹起されるものであるから、本件事故の受傷機転からみて因果関係がない」と判断しているが、この点も前示のような本件事故の態様を考慮した上での判断とは解しがたく、同医師の判断は、その推論過程からみても、診療記録の一部の検討、あるいは一般論によつて行われているにすぎないと判断される。これに対して、同医師が避難する、現実に患者を診察し、経過を観察し、治療を継続していた医師の判断は、前記のとおりであり、これらは右性質上、それなりに尊重されるべき性質のものであつて、診療記録の一部を見て、あるいは一般論によつて、容易に前記判断を覆すことはできないものというべきである。そして、病態や治療の内容、経過について事故との相当因果関係を判断するに際しては、当該治療が純粋に事後的に客観的に判断して、完全に適切であつたか否かが問われるものではなく、診療機関の一般的社会的実態と診療行為の裁量性とを踏まえて、被害者が受けた治療が通常あり得べき治療であつたか否かを問題としなければならないのであり、換言すると、かかる事故による受傷をした者が通常一般的に医療機関で受けるであろう治療を受けた場合には、その治療は当該事故との間に相当因果関係があるものと解するのが相当である。この観点から原告の診療経過を検討すれば、前記批判は当たらないものと判断される。
四 原告の損害について
1 治療費四三九万九四四〇円については当事者間に争いがない。
2 原告は、計六〇日間入院していたこと前記のとおりであるから、入院雑費として、一日一二〇〇円×六〇日=七万二〇〇〇円の算式により、七万二〇〇〇円が本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。
3 原告は、計一五五日間、歩行困難のためタクシーを利用して、立川病院に通院したところ、証拠(甲第二〇号証の一、二、原告本人)によると、同病院への通院のためのタクシー代は片道一四六〇円であつたことが認められるから、往復二九二〇円×一五五(日)=四五万二六〇〇円の算式により、通院交通費として四五万二六〇〇円が本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。
4 原告は、前記認定のとおり、本件事故当時、養鶏場に勤務する傍ら家事に従事していた。本件事故日である昭和六三年一〇月二〇日から症状固定日である平成二年一〇月四日まで通算七一五日であり、昭和六三年賃金センサス産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者五七歳の平均賃金額(年収)は二七四万九五〇〇円であるから、二七四万九五〇〇円÷三六五×七一五日=五三八万六〇〇六円(円未満切捨て)の算式により、休業損害として五三八万六〇〇六円が本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。
5 原告は、前記のとおり、本件事故により労働能力を少なくとも六〇パーセント喪失したものと認められる。症状固定時である平成二年当時、原告は五九歳であり(就労可能年数八年・ライプニツツ係数六・四六三二)、同年賃金センサス産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者五九歳の平均賃金額(年収)は二九〇万九〇〇〇円であるから、二九〇万九〇〇〇円×〇・六〇×六・四三六二=一一二三万三七四三円(円未満切捨て)の算式により、逸失利益として一一二三万三七四三円が本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。
6 原告の前記障害の程度、入通院の期間、経過に照らして、傷害慰藉料二〇〇万円、後遺障害の内容、程度に照らして後遺障害慰藉料九〇〇万円をもつて本件事故と相当因果関係のある損害と認める。よつて、本件事故と相当因果関係のある慰藉料額は一一〇〇万円となる。
7 以上合計三二五四万三七八九円から既払額五一九万九四四〇円を控除すると、二七三四万四三四九円となる。
8 本件事案の内容、審理の経過等に照らし、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用額は二五〇万円と認める。
五 結論
よつて、原告の請求は、二九八四万四三四九円及びこれに対する昭和六三年一〇月二〇日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は失当である。
(裁判官 松本光一郎)